日本リズム学会

Japan Institute of Rhythm

日本リズム学会 第39回大会


日時:2023年1月21日(土)13:00〜17:00
場所:ZOOM(URL:参加希望者に送付します)

 
入場:会員、非会員ともに無料

 
 
問い合わせ: JIR事務局 office_jir08@yahoo.co.jp

 

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見上潤

旋法とは何か?(第14回)島岡ゆれ理論と音素材分析
――スクリャービン《ピアノソナタ第5番》作品53(1907)の分析――
   


安田寛

能のリズム論で使われる用語「モチ」とは何か
  


山路敦司

筒美京平のソングライティング手法における情報デザイン的思考についての考察
  


古澤彰、本間浩

DJ の視点から考察するテクノやハウスミュージックのリズムにおける実例
 

 
川本聡胤

BGM概念再考

 
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(タイムテーブル)
13:00〜13:30 見上潤(発表20分、質疑応答10分)
13:30〜14:00 安田寛(発表20分、質疑応答10分)

14:00〜14:20 休憩20分

14:20〜14:50 山路敦司(発表20分、質疑応答10分)
14:50〜15:20 古澤彰、本間浩(発表20分、質疑応答10分)
15:20〜15:50 川本聡胤(発表20分、質疑応答10分)

15:50〜16:00 休憩10分

16:00〜17:00 ラウンドテーブル(60分予定)

 
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研究発表要旨集                                                                                                                  

1.旋法とは何か?(第14回)  

島岡ゆれ理論と音素材分析――スクリャービン《ピアノソナタ第5番》作品53(1907)の分析――

見上 潤

【発表要旨】

調性音楽の作品分析に根本的に変革をもたらした島岡譲の音楽理論は、1958年以来4段階の発展を遂げてきた。その最新の成果である『総合和声』(1998年)では、その理論の核心部分である「ゆれ理論」を、古典的和声を越えて、ルネサンスからドビュッシー、ラヴェルなど近現代作品にまで射程を広げてきた。本シリーズではこれまで、この理論を検証すべく、様々な近現代作品への応用、そしてこの理論を補うための考察を行ってきた。本発表は、スクリャービン後期作品分析への足掛かりとして、前回分析した《ピアノソナタ第4番》作品30(1903)に続き、今回は《ピアノソナタ第5番》作品53(1907)をこの観点からの分析を行う。
《第4番》が、さながら「トリスタン和声実習」の様相を呈しているのに対して、意外にも、《第5番》には全音階法(diatonism)の復権が行われている。楽譜上複雑な見える序奏循環主題は、E dur固有音階のみによっているにもかかわらず、音域の選択と構成音の配置によって強い印象を醸し出している。また第1主題の各セクションは、導音を除いた全音階的6音を主軸にした複合和音による非常に軽妙洒脱なパッセージである。他方、《第4番》が、導音、およびドミナントの通常の解決が多用されていたのに対し、《第5番》はこれを回避する傾向が強まり、神秘和音等も含んだ半音階法(chromatism)も相まって調性の浮遊感が高まっている。だがこれをもってして、「調性の希薄化」とか、「機能和声の弱体化」と判定できず、導音やドミナントの解決はいまだ「含み」として維持されている。楽式については、循環主題による前奏を伴い、提示・展開・再現・終止に区分できる典型的なソナタ形式であり、《第4番》と同様に古典的な枠組みが保たれている。

 

2.能のリズム論で使われる用語「モチ」とは何か

安田 寛

【発表要旨】

モチは明治時代に作られた能のリズム論である「地拍子」で使われているコンセプトであるが、そこでの説明を繰り返し読んでも意味が今一つよく分からない。横道萬里雄氏は『能のリズムの構造と実技』の中で、「モチは一字分の延長部分」であるが「謡の節としての引きとは性質が違います」という。わらべ歌で「かーごめ」と歌うときの「ー」が引きであるが、同じ一字分の延長である引きや廻しなど生み字とは性質が違うらしいが、どう違うのか説明されていない。古いところでは、能のリズム論の明治の第一人者山崎楽堂はモチは「一字分余計に引いて謡う事とします。ただしこれは純粋の引き 節では有りませんから、謡本には引キの節が付いていません」という。母音を一字分延長する引キと似ているが、純粋の引キではないので謡本では引キの印を付けないというのである。謡本では、引キとモチとは区別されているということは、能の伝統の中で、引キとモチとは異なるものとして区別されてきたということである。しかし今ではその区別が何であったのか、よく分からなくなっている。
今回の発表ではモチの具体的な使われ方を検討し、モチを厳密に定義することで、日本語のリズム論に使えるように一般化する。具体的に言えば、日本語は二文字ずつでまとまる言語だと言われている。確かにその通りなのだが、二文字にならず、一文字だけになる場合がある。いわゆる一文字問題である。「春は花が咲く」を例に説明するなら、「/はる/は/なな/が/さく」となって、「は」と「が」が一文字となる。なぜこうなるのか。これを解決してくれるのが実はモチなのである。モチそのものは、能楽のリズムに特有な概念であるが、それが表しているものは、日本語のリズムに共通する普遍的なものであるだけでなく、原理的に極めて重要な要素を表している。

 

3.筒美京平のソングライティング手法における情報デザイン的思考についての考察

山路 敦司

【発表要旨】

本発表は作曲家・筒美京平(1940-2020)の楽曲作品における音楽的特徴とソングライティング手法に注目し、その楽曲分析と印象評価実験を通して、ヒットソング生成のための筒美による情報デザイン的思考の可能性について考察を試みるものである。
まず、太田裕美の歌唱による《木綿のハンカチーフ》(1975)の楽曲分析を通じて抽出した音楽刺激における聴取者の認知について実施した印象評価実験の結果を比較・検討したところ、音高遷移において跳躍進行による上行での最高音あるいは最高音域への到達、主にヴァース=コーラス形式による楽曲構造における旋法の対称的転換や旋律に内包されるリズム的モチーフの区別、地声から裏声への音色転換など、聴取者の心的飽和を避けるべく楽曲内に配置された複数の変化要因、つまり“キャッチーなギミック”(心を掴む印象的な仕掛け)による有意性を確認した。また、ジュディ・オングの歌唱による《魅せられて》(1979)についても同様の実験結果となり、これらが筒美の多くのヒットソングに確認される重要な傾向である可能性について指摘した。
さらに太田による他のヒット曲を作曲した3人の作曲家(荒井由実・大瀧詠一・吉田拓郎)と筒美による楽曲群から《木綿のハンカチーフ》をもとに筒美作品のみを識別させる実験においては、実験参加者の一定数には識別されたものの多くは吉田作品と識別され、また荒井・大瀧の両作品とは識別されなかった。このことは筒美作品の音楽的特徴とジャンル・時代背景的傾向、またそれらに基づく聴取者による認知との関係を検討する上で興味深い結果となった。
以上の楽曲分析と実験結果による考察をふまえ、ヒットソング生成を強く意図した筒美の音楽的特徴およびソングライティング手法における情報デザイン的発想による可能性について検討した。

  

4.DJ の視点から考察するテクノやハウスミュージックのリズムにおける実例

古澤彰、本間浩

【発表要旨】

1980 年前後からリズムマシーンとシンセサイザーによるシーケンスを用いて創作され始めたテクノやハウスミュージックでは、ジャンル発生から40年前後を経た現在でも変わらずBPM120~130前後のリズムを保っている。これはダンスミュージックとして踊りやすい速度感であることが要因である。ただし、理由はそれだけに留まらない。その点にフォーカスして、今回はDJとしての観点からテクノやハウスミュージックのリズムに関する考察を発表する。
まずテクノやハウスミュージックのリズムでは、一般的には四分音符による規則的なバスドラムで楽曲が構成される。このリズムがテクノやハウスミュージックにおける最大の特徴となり、この要素がクラブなどの現場でDJが異なる楽曲をミックスする際に楽曲の魅力を最大限に引き出すことが可能となる。逆説的にはBPM120~130前後の一定のリズムで四分音符によるバスドラムを基に構成されるリズムトラックは、DJがミックスすることを前提として創作されているとも言える。この様に楽曲の再生環境や速度感を限定して、数十年の歴史が続くジャンルは、音楽史上でも稀有な存在である。
また近年では音楽ビジネスにおいて、音楽フェスが大きな収益の柱となっている。その関係で、それまでクラブなどを中心にアンダーグラウンドなシーンで活動していた従来のDJとは異なり、大衆寄りでフェス志向が顕著なDJも増加傾向にある。その影響により、DJがかける音楽ジャンルにも変化が現れた。それらのフェス志向の強いDJには、ブランディングのために自身でジャンルのネーミングを提唱するケースがある。現在のテクノやハウスミュージックでも、その事例は多い。この様な昨今のDJスタイルについても解説する。

    

5.BGM概念再考

川本 聡胤

【発表要旨】

BGM(Back Ground Music)とは、映画やテレビ番組、あるいは店内などの背景で流される音楽のことである。元来、それは、もともとそうしたものとして作られたもののみならず、制作者の意図に反してBGMとして流されそう呼ばれるものもさす。さらには、イージーリスニングやアンビエントミュージックなど、もともとBGMとしてつくられたわけではないにしてもBGM的な要素を濃厚にもつ音楽もある。では結局、BGMとはなんなのだろうか。
本研究では、BGMという概念を整理し、なおかつ音楽様式的な視点から捉え直すことを提起したい。そもそも上記のような用語の混乱は、BGMとして作られるもの、BGMとして使われるもの、BGMとして聞かれるもの、の3つを区別していないことに起因する。これらはいずれも、異なるアプローチで考察すべきものである。すなわちそれぞれ順に、音楽学、社会学、心理学である。ここではBGMとして作られるものに限定し、音楽学的に考察したい。
BGMとして作られるものといっても、そこにはさまざまなレベルがある。明白にBGMとして制作契約がなされてつくられたものもあれば、その意図が不明確なイージーリスニングやアンビエントミュージックもあるし、さらにはMVやコマーシャルの音楽などは、元来BGMとして作られていなくても、実際には映像の背後で流された結果、聞き手からするとBGMとして作られたものとして理解されることもある。
これらのさまざまな概念を整理しつつ、BGMとして作られるものを音楽学的に考察したい。そこにはたいてい、メロディやハーモニーやリズムの点ですばやい変化や極端な進行が避けられるなどの工夫がなされ、また既存様式が採用されることが多く、またつぎはぎ的な形式が多い。こうした音楽学的考察は、BGMの要素をもった音楽が実は20世紀にはじまったのではなく、もっと昔から存在していたことを示唆する。そして究極的には、音楽というものが本質的にBGM的な側面を備えていることをも示唆する。
    

       

      


<発表者プロフィール>   

見上潤

音楽アナリスト、指揮者、ピアニスト。研究テーマ:テクスト・音楽・演奏を統一的に把握する「ことば・おと・こえの三位一体」の理論と実践。音楽言語学研究室、ドルチェカント研究会主宰。日本音楽理論研究会幹事。日本リズム学会、日仏現代音楽協会会員。国立音楽大学声楽学科卒。同大学院作曲専攻(作品創作)修了。

        

安田 寛

1948年、山口県生まれ。1974年国立音楽大学大学院修士課程修了。奈良教育大学名誉教授。近著に『バイエルの謎 日本文化になったピアノ教則本』(音楽之友社、2012年、新潮文庫、2016年)、共著に『仰げば尊し―幻の原曲発見と『小学唱歌集』全軌跡』(東京堂出版、2015年)などがある。

山路 敦司

作曲家・音楽デザイナー。東京藝術大学音楽学部作曲科および大学院音楽研究科修士課程修了。京都市立芸術大学大学院博士(後期)課程修了。スタンフォード大学CCRMA(Center for Computer Research in Music and Acoustics)客員研究員、岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー(IAMAS)修了を経て、現在、大阪電気通信大学総合情報学部教授。博士(音楽)。

                 

古澤 彰

尚美学園大学•芸術情報学部音楽応用学科准教授。日本リズム学会理事。エレクトロバンドLOWBORN SOUNDSYSTEMにてリーダーを務め、ほぼ全曲の作詞作曲を行う。個人名義では室内楽を中心に作曲し、またDJとしても活動している。

      

本間浩

2009年より海外を中心に作品をリリースし、DJとしても国内外で活動中。また自身がリーダーを務めるバンドBIG FIREでは海外の著名DJなどがリミックスを担当した作品を定期的にリリースしている。      

川本 聡胤

慶應義塾大学文学研究科修士課程修了、ノースキャロライナ大学チャペルヒル校音楽学部博士課程修了(Ph.D.)。博士論文は “Forms of Intertextuality: Keith Emerson’s Development as a Crossover Musician” (ノースキャロライナ大学、2005)。音楽理論研究およびポピュラー音楽研究が専門。単著に『J-POPをつくる!』(フェリスブックス、2013)。翻訳書に『キース・エマーソン自伝』(三修社、2013)。現在フェリス女学院大学准教授。